場内散歩その4 銅像胸像編
中山競馬場に建てられている銅像は結構存在感があります。
別に名所でもないし、見なくても馬券の当たりはずれに何の影響も与えません。
中山競馬場に行ったついでに銅像も見る。
おはようパーソナリティー銅像胸像です。お昼も同じポーズを取っています。
中山競馬場にはいくつか胸像(実は銅製かどうかは不明)がありまして、別に意識はしていないのですが、なぜか視界に入ってきます。
たとえばスタンド中央に突っ立っているとか、誰の目にも止まるような場所にあるわけではありません。画像のように、ぱっと見ただけではどこにあるのか分からないくらいです。
なのに気になってしまう。不思議な存在感のある銅像です。
まずは肥田金一郎さんの銅像です。読みは「ひだ きんいちろう」略してヒダキン。
ヒダキン氏の功績は福島競馬場と中山競馬場の地位向上に大きく貢献した事です。地元住民の反発をうまく抑え、まだ市民権を得ていなかった競馬事業の礎を築いた人のようです。主催者としては銅像を建てないわけにはいかない大功労者です。
ナニワ金融道の登場人物のような名前をしながらスケールの大きな事業をやってのけた人です。
競馬ファンから金を巻き上げて私腹を肥やした人と思われそうですが、この人が中山競馬を発展させなければ、国際競走を日本で開いたり、日本の馬が海外遠征できる所まで発展するのにどれだけ時間がかかったか分かりません。
次は中村勝五郎さんの銅像です。
同一人物かどうか分かりませんが、市川市の名誉市民に中村勝五郎さんという人がいました。以下同氏のプロフィールです。
戦後の混乱期に私財を投げ打って若手芸術家の育成や美術界の興隆に尽力。財団法人市川市高齢者事業団を設立し、初代理事長として市川市の社会福祉に貢献。
(市川市ホームページ・市川市名誉市民,市民栄誉賞ページより)
他にも少し調べたら中村氏は中山競馬場の建設に相当貢献されたようです(雑)。船橋なのになぜ市川市名誉市民の銅像を建てたのか合点がいきました。
2人の胸像はグランプリロードとパドックの間に広がる裏庭のような中庭エリアに建っています。
人通りがあまり無いようなので、ゆっくり馬券を楽しみたい方にも良い場所です。
ハイセイコー像。
競馬場に競走馬の銅像が建てられるのは珍しくありませんが、中山競馬場にハイセイコーの像があるとは。大井競馬場ならわかるのですが、意表を突かれたキャスティングです。
大井所属だったハイセイコーの中央移籍初戦が中山競馬場の弥生賞でその弥生賞当日の入場者が123,000人。1973年ですから競馬ブーム前です。その記憶に残る集客力を評価されて、銅像が建てられたのかもしれません。
といった具合に中山競馬場の発展に大きく貢献した人馬の銅像が建てられているわけですが、暮れの大一番有馬記念の名前の由来となった有馬頼寧氏の銅像はなぜかありません(有馬せん?)。
有馬記念の売上高を有馬氏の功績と呼ぶのは無理があるものの、そろそろ建ててあげる時期でしょうか。どっちでもいいけど。