水沢競馬場 アクセス情報
水沢競馬場までの道のりを阿弖流為像のある交差点からご紹介します。
水沢競馬開催時がどうなっているのか分かりませんが、この日の道中は閑散としていました。
水沢駅から水沢競馬場へ行く場合
無料優待バスの時刻表
JR水沢駅から発着します。水沢江刺駅からは出ていません。
こちらで確認できます。※岩手競馬公式ホームページへ移動します。
乗り場の地図が無いので余裕を持った行動をお勧めいたします。
無料優待バスの本数が非常に少ないので乗り遅れぬようご注意ください。
上の図は水沢駅、水沢競馬場、水沢江刺駅の位置関係を表しています。
どちらの駅からも水沢競馬場は遠くありませんが、2つの駅はかなり離れているので遠方から水沢競馬場へ行く人を悩ませます。
因みに公式ホームページによるとJR水沢駅よりバスで15分、水沢江刺駅よりタクシーで5分となっています。
車を利用して水沢競馬場へ行く場合
車を利用して水沢競馬場へ行く場合、東北自動車道水沢IC出口を下りて国道4号線を通って水沢競馬場へ向かいます。
駐車場は私設駐車場を利用することになります。
この日は盛岡競馬場から国道4号線(奥州街道)を延々と南進して水沢競馬場へ行きました。いきなりですが阿弖流為像が建っている交差点です。住所は岩手県奥州市水沢区東大通り3丁目3-15付近です。
赤い線が盛岡競馬場から水沢競馬場へ向かう経路です。○で囲っている地点に阿弖流為の郷があり、□で囲っている場所が水沢競馬場です。
地図を見れば国道4号線(奥州街道)を使って水沢競馬場へ行く場合には国道397号線との交差点を左折して水沢競馬場へ向かうのが王道なのですが、管理人のカーナビの気まぐれで花園町という交差点を左折するよう指示されて、画像の巨大な土器っぽいオブジェに遭遇しました。
駄洒落ではありませんがドキッ(土器)としましたよ。(駄洒落です)
さて阿弖流為とは、説明するまでもありませんが、桓武天皇の時代に胆沢地方を統治していたとされる軍人であり最高責任者であります。
当時の日本は律令制のもと中央の権力者がその威光を全国に示そうといきり立っていた時期で、現代のアメ○カのように他国に因縁をふっかけては正義のための戦争とか何たらかんたら大義をかざし、朝廷軍が力ずくで他所の領地を制圧していました。
どどまることを知らない朝廷軍は遂に遠く東北の胆沢までやってきてこの地を支配しようと試みましたが、戦に長けた阿弖流為は朝廷軍を打ち破り侵攻を防ぎました。
しかし朝廷軍は坂上田村麻呂を征夷大将軍(諸説あるそうですが日本で最初の征夷大将軍といわれています)に任命し再び胆沢地方へ攻め入ります。いわゆる蝦夷征伐です。
この戦いは朝廷軍の勝利に終わり阿弖流為は母礼(モレ)とともに捕えられ平安京に連れて行かれます。そして坂上田村麻呂の懇願むなしく処刑されました。
古今東西歴史は勝者の都合の良いように編集されます。
何も悪い事はしていない胆沢地方は「蝦夷」と蔑まれ、坂上田村麻呂が善、阿弖流為が悪の構図で語られるのが通説となりました。
ショッキングですらある阿弖流為像。怒ってるんだか笑ってるんだか。おそらく怒りつつ笑っているのでしょう。目が光りそう。
上の写真は阿弖流為の郷の看板と当時の住居のレプリカです。
上の地図に赤い線で引いた経路と実際通った経路は若干異なり、四叉路で進むべき道を間違えて少しだけ河川敷を走る事になりました。すると右側に馬が浮かんでいる姿が見えてきました。
看板に近づくと、ここから降りられなくなった馬に見えます。
河川敷道路を下ると水沢競馬の厩舎の敷地が広がっています。画像は佐々木由則厩舎です。馬のいない敷地とカラスが一羽とまっているのが非開催日らしい風景です。
水沢競馬場に到着。
場外馬券売り場の日でも中央競馬のパークウィンズであれば、競馬ファンらしき人が歩いていてそれなりの賑わいを見せていますが、水沢競馬場はパークウインズとは別の雰囲気が漂っています。
シンとした静寂が響き渡る競馬場周辺です。
北上川沿いの低地に隠れるように存在する水沢競馬場。
繰り返しになりますが、現地にいると、このやたら静かな競馬場の雰囲気は南関東の競馬場にもJRAの競馬場にもない独特の空気を感じます。
水沢競馬場の入り口前に佇む食堂ダービー。昭和レトロを醸す外観が魅力的です。
この日はご覧のとおりお休みでしたが水沢競馬開催時も営業しているのか不明。機会があれば立ち寄りたいお店です。